「知性人としての教養と讀書」 (1947)
アンドウ ゼンパチ
sexta-feira, 18 de janeiro de 2008

  1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、アンドウゼンパチの「知性人としての教養と讀書」をそのまま転載する。手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手がかりとなろう。本サイトでは4回に分けて掲載する予定である。

「知性人としての教養と讀書」 アンドウ ゼンパチ

 (一)

 教養のない知性人とゆう者を考えることはできない。しかし、教養のない知識人或は博識かとゆう者はありうる。「知性人」も「知識人」も、共に、しばしば「インテリゲンチャ」の意味で使われているが、ここでは、あえて、それぞれを異なった概念のもとに使用したい。すなわち、知性人とは對衆を合理的・科学的・理論的に批判し、その批判から更に新らしい價値を創造しうる知性をもっている人としよう。そして、知識人とは博識であり知多[二つの文字の間にレ点あり]であるが、その豊富な知識が統一を缼いていて、方法論的なものがなく、したがって、思想は非合理的・非科学的・非理論的で、新らしい價値創造の能力を缼いている者としよう。この定義は、まだ、一般に承認されているものではないが、「知性」と「知識」両語の概念は、己に異なったものとなっているから、この区別は不都合ではあるまい。

 では、教養とは何か。教養の意義は、かつて(二十数年前)日本でヒューマニズム盛んなりし時、ヒューマニズムの根本的なものとしての教養が論じられて、教養とは「自己をかたちづくる」ことから始まり「人生をかたちづくる」ことに擴大されることであり、ヘーゲル的解釈に従えば「自己を人生の中に造りこむ」ことであるといわれた。すなわち、價値を内面的に把握し、その價値が外部に(人生に對立する)卋界に再び出て、人生と卋界とを形成することである。

 しからば、かかる教養はいかにしてなされるか。教養は自己を充実した價値として、個体(インディヴィデュアル)としての人間[「間」は略字、以下、「間」はすべて略字]から、文化的理念をもった人格(パーソナリティ)としてたかめようとする意思だけでなされるか。日本人的教養なるものは、特に明治以前までの久しい間におけるそれは、教養の意思が、日本人の特に優れた直感性を通じて直ちに價値を把握することによってできた。これは貴族・武士階級から農民・町人を通じて・学問[「問」は略字、以下、「問」はすべて略字]の有無[「無」は旧字体]にかかわらず、一様になされた教養の方法であった。日本的教養は学問をしたものだけに限られた人間形成ではなかった。しかし、こうした教養の方法は現代の日本人においても果して可能であるか。可能であるとすれば、そして、こうした方法が日本人としては依然として優れた方法であるとすれば、直感によらず分析によって科学的に価値[ママ]を把握しようとする知性人なるものは軽視されていい存在となろう。事実、日本においては、知性に対する軽視は昭和時代において甚しかった。更に、それは反感・侮蔑とさへなり、ついに、反知性主義の横行とまでなった。そうした結果については、今更、ここで述べるまでもなく、余りに生々しく、痛ましい現實が暴露されている。反知性的行動は文化価値の創造とはならずに、世界の意思、世界が生成発展していく意思、世界の文化的理念を無視したために、古き價値を倒して、新らしき価値をを作るツアラツストラの「價値顚倒の歓喜」とならずして、世界史的に見れば、余りにも愚かな悲劇となり終ってしまったのである。

 しからば、何故に、現代の日本に於ては、かつて、何世紀かの間、日本人の優れた性能であった直感的な、非知性的な教養がかくも無力なものとなったかを反省して見よう。

 明治以後、近代文明国として発達した日本は、時代に適応した教育方法として、西欧の理智的教育を以て、傳来の直観的教育に変えた。日本人の特殊な性格といわれた直観性といえども、ひっきょう、文化的なものであるのだから、理智的教育が盛んになり、直感性[ママ]の涵養が顧みられなくなれば、固有の日本的教養の本質が薄らいでいった當然であろう。われわれ明治中葉以後に生れた者で鋭敏な直感性をもっている者は非常に少いことが、それを證明している。かく現代の日本人の直感性は薄弱になっているのにもかかわらず、大部分の日本人は、教養としての価値の認識を知性によってしやうとするよりも、なお依然として直感的教養を日本人の優秀且つ独特な性格を考えて、観念的にこれを固執して来たのである。もともと、日本的教養は近代的の教育によって與えられたものではなく、長い厂史をもった国民生活の形態そのものから賦與されたものであったから、現代においても無自覚な日本的教養主義者は、無意識に学問・読書による教養をうとんじる傾向があり、この結果は、現代日本人をして、直感性による教養も、知性による教養も、どちらも不完全な人間としてしまったのである。このことは、戦前日本文化の研究・批判がしきりになされた時、長谷川如是閑[「閑」は略字]その他の人々によって論じつくされた結論である。それだから、教養の心がけある者の中、学問・読書から離れたものは、単なる趣味人となり、学問・読書によらんとする者といえどもその根底に文化的理念と知性の観念を缼いていたから、これ亦、趣味としての博識家となるか、ニイチェのいわゆる「教養ある俗物」となったにすぎない。「博識な趣味人と結びつく文化の理念は随筆である」と三木清がいったが、たしかに、現代日本の知識人の教養なるものは、「文藝春秋」誌の随筆において遺憾なく発揮され、これにつきていたといえよう。

(時代 1: p.19-23, 1947)

つづく


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros