中村直吉
中村直吉
segunda-feira, 09 de janeiro de 2012

 ブラジル移民の門戸神戸にあって、ブラジル行移民に援助を与え、便宜を計り、かつ日伯親善に尽瘁(じんすい)している日伯協会は、大正15年(1926)5月8日に、当時の兵庫県内務部長黒瀬弘志氏(後の神戸市長)を初め平尾釟三郎、岡崎忠雄、川西清兵衛、小曽根貞松の諸氏等いずれも兵庫県在住の有力者が発起人となって創立されたものである。

 兵庫県々会議員で、神戸取引所の常務理事をしていた、中村直吉氏も日伯協会創立以来理事の一人として協会のために力を尽すところが多かった。ことに同氏は、神戸港から移民船が出るたびに、日伯国旗と「御健康と御成功を祈る」「ブラジル渡航記念」の文字を染めぬいた手拭一巾ずつを、移民各自に洩れなく寄贈して壮行を激励し、その数は同氏が亡くなった昭和14年(1939)1月までに、無慮13万6700本余に達している。

 この行事は、未亡人たま子さんによって引継がれ、昭和15年(1940)5月日伯協会が十五周年を迎えるまでに、累計14万1597本の記念手拭が、寄贈されたのであった。この一本の手拭の激励によって、開拓の意欲を奮起し、長年の間新しい力を与えられた人が、決して少くないといわれており、まことに奇特な話として顕彰したい。

 中村直吉氏は、明治13年(1880)8月15日神戸市兵庫区に生れた。社会事業に非常な関心をもち、社会事業と名のつくところには必ず顔を出して、これを援助した。非常に深く二宮尊徳先生を尊崇し、その小銅像をつくって、神戸、明石の全小学校に寄贈した。また思想教化団体として、労働階級者をメンバーとする「養生会」を組織して指導に当り、また、兵庫実践少年団を組織し、毎日曜日には自らリーダーとなって山野を跋渉(ばっしょう)したり、社会見学を実践した。

 こうした重なる徳行と、多年社会事業に尽した功労を表彰され、畏きあたりから御紋章入りの「硯箱」を下賜されている。

 昭和14年(1939)1月14日逝去。


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros