ブラジル物故
先駆者列伝
 戦前に活躍したブラジル日系移民先駆者たちの 「列伝」。1958年に日本移民五十年祭委員会によっ て編纂された『物故先駆者列伝:日系コロニアの礎 石として忘れ得ぬ人々』から紹介。当研究所森田監 事の解説はこちら
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quinta-feira, 12 de agosto de 2010
 市毛孝三氏は、二等書記官、一等書記官、総領事と、ブラジルでは三回の勤務をしている。尤もそのうち、一等書記官から総領事に昇進したときは、リオ市からサンパウロ市へ移ったにすぎなかつた。

 出身地は、茨城県東茨城郡緑岡村で、明治27年(1894)7月25日生れ。一代の名横綱...
quinta-feira, 08 de julho de 2010
 氏は慶応元年(1865)8月25日、土佐国安芸郡井口村で生れた。明治18年(1885)2月、巌父彌太郎氏が亡くなったので、岩崎家を継ぎ、翌19年(1886)から24年(1891)まで、米国に留学して、ペンシルバニア大学に学んだ。

 明治24年(1891)11月、三菱社の副社長となり、同26...
quinta-feira, 10 de junho de 2010
 ブラジル移民の送り出し斡旋について、長期間に亘り最も功績のあったのは、海外興業株式会社であろう。

 海外興業株式会社は、大正6年(1917)12月1日、寺内内閣時代、勝田主計大蔵大臣の奨励によつて、既存の東洋移民合資会社、南米殖民株式会社、日本殖民株式会社、日東殖民株...
quinta-feira, 06 de maio de 2010
 石射猪太郎氏が六代目の駐伯特命全権大使としてリオ駐在を仰せつかったのは、日華事変も進捗した昭和15年(1940)9月14日のことであった。同10月4日に東京を出発して、同11月13日にリオに着任した。

 着任するや否や、一週間目の同19日に、第十三回連邦府国際見本市の...
quinta-feira, 11 de março de 2010
 静岡県士族榛葉健吉氏の二男、東京外国語学校スペイン語科を卒業、移民通訳として渡伯した。通訳五人男(平野運平、加藤順之助、仁平高、大野基尚、嶺昌)の一人である。

 墓碑の「平野運平之墓」の六字は、堀口九萬一公使の筆に成り、裏面に「大正八年二月六日死亡行年三十四才」と...
quinta-feira, 04 de fevereiro de 2010
 郷里は滋賀県。盛岡高等農林学校を出てから、同志3名と語らい、明治43年(1910)1月彼等の恩師伊藤清蔵農学博士と共に、農業経営の目的を以て、アルゼンチンへ渡航したが、来てみると現実は志を入れるべくもなかったので、滞在僅か3ヶ月で、同年7月翻然帰国と決した。すなわちアル...
quinta-feira, 07 de janeiro de 2010
 「武藤が新規事業をやる時は、いつも福原を先頭に立てる」という伝説?があったらしい。大正8年(1919)、武藤山治氏が第一回国際労働会議へ、資本家代表として参加した時には、福原八郎氏が随員として同行し、氏の女房役として世話をやいている。

 大正15年(1926)、田付ブラジル...
quarta-feira, 04 de novembro de 2009
 江越信胤氏のブラジルに於ける事績は、始めは海興の農業技師として、後にはサンパウロ総領事館の農事部技師として、つまり民と官とに分れている。

 明治18年(1885)4月21日、東京は芝佐久間町で生れた。明治44年(1911)7月、東京農科大学農学科を卒業し、大日本農会の耕地整...
quinta-feira, 08 de outubro de 2009
 在伯邦人の陸上競技界の発展に、大きな貢献をした安養寺顕三氏は京都市下京区新町通り正面上るの出身。暖簾の古い悉皆屋の二男に生れた安養寺氏は、市立実習商業学校を卒業後、京都武徳会で柔道や水泳等の練習に励み、特に水泳は極東オリンピック大会の予選に出場する位の腕前であった...
quinta-feira, 03 de setembro de 2009
 移民事業に関与すること36年、戦前、伯国移民として渡伯した邦人の8割は、明穂氏の手を経たといわれている。

 明穂氏が移民関係の人間となったのは、明治45年(1912)からで、大正2年(1913)、海外興業株式会社が、唯一の伯国行き移民取扱会社となるや、引続き移民部長となった...
quinta-feira, 06 de agosto de 2009
 有吉明氏は、大正15年(1926)11月5日、駐剳ブラジル大使に任じられ昭和2年(1927)1月25日、リオ・デ・ジャネイロ市に着任した。ブラジル在勤は満3年余りであった。

 明治9年(1876)4月15日、東京で生れたが、郷里は京都府与謝郡宮津町となっている。

 明治31年(18...
quarta-feira, 05 de março de 2008
ブラ拓の事業改革
 昭和6年(1931)2月25日、海外移住組合連合会第八回総会で田付七太理事長、梅谷(光貞)専務理事が辞任し、その後任として会頭兼理事長に平生釟三郎、専務理事に宮坂国人の両氏が選ばれた。

 平生氏は異色ある実業家で兵庫県甲南高等学校(...
quinta-feira, 21 de fevereiro de 2008
 およそブラジルに来た邦人で、大武さんの辞引の世話にならなかった人はないだろう。そして、日本にいても、ブラジルに志を抱き、ブラジル語習得を心掛けたもので、大武和三郎氏の名を知らぬものはあるまい。大武の辞典か、辞典の大武かといわれる位、葡和辞典、和葡辞典の編者として、...
quarta-feira, 13 de fevereiro de 2008
大正小学校と宮崎信造

  サンパウロ市の大正小学校は、邦人最古の小学校である。設立は大正4年(1915)の10月7日、すなわち、今を去る43年の昔で、場所はコンデ・デ・サルゼーダス街38であった。当時在伯同胞は全部で1万数千に過ぎず、その大部分は奥地...
quarta-feira, 30 de janeiro de 2008
日本人町、コンデ・デ・サルゼーダスの主
 木村清八氏は、上地彌蔵氏や山田隆次兄弟と同じく、サンパウロ市の日本人町、コンデ・デ・サルゼーダスの主ともいうべき存在であつた。明治43年(1910)6月28日サントス入港の、第二回移民船旅順丸で渡伯した。熊本縣...