segunda-feira, 09 de janeiro de 2012
ブラジル移民の門戸神戸にあって、ブラジル行移民に援助を与え、便宜を計り、かつ日伯親善に尽瘁(じんすい)している日伯協会は、大正15年(1926)5月8日に、当時の兵庫県内務部長黒瀬弘志氏(後の神戸市長)を初め平尾釟三郎、岡崎忠雄、川西清兵衛、小曽根貞松の諸氏等いずれも兵...
quinta-feira, 08 de dezembro de 2011
慶応元年(1865)8月2日、長崎県南松浦郡奥浦村に生れた。15才にして長崎大浦神学校に入り、明治30年(1897)、司祭に叙品され、鹿児島県大島郡に赴任し、伝道の第一歩を踏出した。同地方の教化運動に従事すること25年、昇天するまで、実に43年の久しきにわたり、聖業に献身し...
quinta-feira, 13 de outubro de 2011
ブラジル移民といえば、直ちに連想されるのは、その輸送機関を握っている大阪商船である。ブラジル移民と大阪商船とは、正に不可分の関係だといっても、過言ではあるまい。そして、その大阪商船と南米とを、密接に結びつけた最有力者は、村田省蔵氏であろう。
明治41年(1908)以...
terça-feira, 06 de setembro de 2011
朝日新聞より遅くスタートし、立ち遅れの毎日新聞を、朝日新聞と比肩する大新聞にまで盛り上げたのは、社長本山彦一であった。本山氏はたぐいまれな経営者であると共に、情誼に厚く、皇室を尊崇する念が特に深かった。絶えず海外の情勢に気をくばり、年に多くの社員を海外に派遣して、...
quinta-feira, 04 de agosto de 2011
マレー半島のゴム植栽の発展につれて、アマゾン地方のゴム景気は昔話となってしまったが、邦人によってもたらされた、二つの特産物、黄麻(ジュート)と黒胡椒(ピメンタ・ド・レイノ)によって、アマゾン流域は、再び、大きくクローズ・アップされるに至った。
黒胡椒の主産地とし...
quinta-feira, 07 de julho de 2011
三浦鑿氏は、我がコロニアの言論界における特異な存在であった。彼は過去を語らず、従って彼の生国や前身については、何人も真実を知らない。かつて彼の口から英語の教師をしたこと、義太夫が好きでその前座をつとめて田舎巡業をしたこと等々断片的に何かの機会に聞いたことがあるが、...
quarta-feira, 08 de junho de 2011
わが第一回移民入植のころ、ペトロポリスのわが公使館に、一等通訳官として勤務していた三浦荒次郎氏は、水野龍氏の介添役となって、サンパウロ州当局と移民配耕の交渉に当り、入植後の移民の不満爆発に際しては、幾度か公使館から、サンパウロの耕地に駈けつけて、慰撫これつとめ、真...
quarta-feira, 04 de maio de 2011
外人間に「コンデ・コマ」なる通称を以て、広く知られた前田光世氏は、明治13年(1880)青森県中津軽郡船沢村に生れた。
早稲田法律学校(早稲田大学の前身)を卒業後、学習院第一高等学校の柔道教師をし、当時、佐村嘉一(原文ママ)、轟祥太両氏と共に、講道館の三羽烏と称せら...
quinta-feira, 07 de abril de 2011
ブラジルにわが総領事館が設置されたのは、明治30年(1897)8月23日であった。独立の庁舎、単独の総領事が、任命されたわけでなく、ペトロポリスのわが公使館の中に、総領事館が併置され、総領事に珍田弁理公使の兼任であった。ところが第五代の畑公使の時から、公使は総領事を兼務...
quinta-feira, 10 de março de 2011
アマゾン開拓第一回移民をのせたモンテビデオ丸は、1929年(昭4)7月24日、神戸港を出帆し、9月7日リオ港着。一行はベレンを経て同月22日午前8時半、アカラ植民地(現在のトメアスー植民地)の波止場に降りた。
主作物たるカカオを植え、米をまいたが、俵90ドルの白...
quinta-feira, 03 de fevereiro de 2011
1908年(明41)に渡伯した上塚周平氏は、俳号瓢骨、移民収容所でつくった、
ブラジルの初夜なる焚火祭かな
の句がブラジルで日本移民がつくった、最初の句であろうといわれている。木村貫一郎氏は俳号圭石、瓢骨氏と親交あり俳句を通じて、淡々たる友情を上塚氏と交わしていた...
quinta-feira, 06 de janeiro de 2011
昭和16年(1941)2月、チエテ移住地支配人の現職のまま、慰労帰朝の恩典に浴し、妻子をブラジルに残したまま、16年振りで故国の土を踏んだ。
昭和16年(1941)5月、拓務省は、海南島開発計画樹立のため、同島農業調査団を派遣することとなり古関氏は、同省の嘱託として海南島...
quinta-feira, 02 de dezembro de 2010
北島研三氏の略歴は、「ブラジルに於る日本人発展史」に左記の如く掲載されている。
「明治3年(1870)2月16日、福井県金津町新町に生れた。同9年(1876)父母と共に京都に転住し、同14年(1881)更に東京に移り英語及び数学を専修し、同17年(1884)より23年(1890)まで、...
quinta-feira, 04 de novembro de 2010
神谷忠雄氏は、東洋移民会社の代表として、わが移民誘入のためにブラジル移民の初期に、活躍した人物である。
水野龍氏の皇国移民会社による第一回移民が、入植就働後、会社自体の資金難や、いろいろの事情から、耕地を離脱したものが多く、会社としては非常な打撃を受けて、輸送...
quinta-feira, 07 de outubro de 2010
氏は、実業人としてまた外交官としての二つの面で、大きな足跡をブラジルに残した。実業人としての雄飛は戦前であり、外交官としての活躍は戦後であった。
君塚氏は千葉県の出身で、明治24年(1891)11月28日生れである。東京高等商業学校を卒業の後、更に同専攻科に学んで大...