随想
河合武夫
quarta-feira, 19 de março de 2008

1947年1月に発刊された「土曜会」の同人誌「時代」第一号から、河合武夫の「随想」をそのまま転載する。
手書き・謄写版印刷の第一号は80部ほど配布されたとのことだが、現在では非常に希少な資料となっている。その後の日系社会に少なからぬ影響を与えることになる「土曜会」のメンバーが、太平洋戦争終結直後の混乱の中で、いかなる運動を指向していたのか。その思索の一端を理解する手がかりとなろう。
河合は「日本の戦前戰前抱懐した」方法論を根底から是正すべきだと述べ、「根本的に人生の問題を扱ふ宗教や哲学や科学、藝術等が基礎的に重大な役割を演ずる」のではないか、と論じている。


今度は單なる敗戦といふよりも、日本の忌憚ない評價が一応卋界の前に示された訳だが、日本の戦前抱懐した理想や目的を否定する、しないは別として、少[少は旧字体]くともその方法論(最も原論的な意味での)に於いて、根底から是正さるべきものがあると考へられる。

一に日本人の特性を誇張し過ぎ、期待をかけすぎた。

日本人は自らの國籍を忘却することによって、人間[間は旧字]性を失ふが如き雰囲気をつくり上げて吾身を金縛りにしてきたのである。そして無批判に権威の前に屈従する様な社会的環境が幾多もあって、要するに封建性を脱し切って居なかった。

 物理現象にも似た歴史的必然を以って展開[開は旧字]して行く人類社会に於て、未だ過去の形態を脱しきれない過程にあるものが、総てに於て遅れをとるのは当然である。

そして何物にもまして日本の科学が貧困であった。

も一度くどく云へば西欧人がフランス革命の血を以って贖った人間性の解放、これを基本づけ発展せしめた近代科学精神とその汗の結晶を日本人はあまりにも安易にとり入れ、教へられて、因って来る根本精神には本当に徹してゐなかった。さらに換言すれば、明治維新が一部指導者によってあまりに手ぎはよく先手を打って行はれた為、血と汗を以って自ら産み出す程に徹して居なかったことである。今から彼らに追ひつかねばならぬし、更に先んじ度いものであるが、こんなに考へると、吾等の再出発にはまことに深い反省を要する。

仮令それが一見まどろっこく廻り道に見えても、我々は根本的なものから、みんなも一度検討しなほして始めねばならぬのではなからうか。それには表面の産業や技術よりも、もっと根本的に人生の問題を扱ふ宗教や哲学や科学、藝術等が基礎的に重大な役割を演ずるのではなかろらうか。

おそらく原子彈が実利を度外視した深奥な眞理探究に対する逞しい文明人の努力の副産物であるが如く、今后の人類文明から言って、國際間のあらゆる意味に於ける競争に先んずるものは、單なる滅私奉公とか必死の訓練とかいふ様な実践道徳に基準を置いた人間の協力ではなくして、さらに高い、仮りに呼べば、㐧一義的な人生の問題から出発した深いものが、究極に於て現卋的な社会をも貫くことになるのではなからうか。

これはずゐ分ひどい言葉ではあるが、現在の悲しむべき日本の現状を以ってしても、あまりに賢しく手際よく難関[関は旧字]切り抜けつゝあることは、一応喜ばしいとともに、一面牛を馬に乗り換えたやうな物足りなさがある。又弥縫に堕して根本的な革新がないとすれば、新しく今後の卋界をリードするやうなものを生まず、結局後塵を拝する安直な道を再び歩み出すこととなるのではなからうかとも考へられる。

レーニンが、新しいものを造るには先づ旧きものを徹底的に壊せと言ったさうだが、この時局を大した変革もなしに手際よく拾収してゐることが、(これは実に深刻極まる努力であらうけれど)却って、何時までもうだつの上らぬ新日本をつくる所以にならぬことを希望して止まぬ。


時代1, p.39-41.


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros