新文化建設の指標 (2)
半田知雄
quarta-feira, 05 de março de 2008

ここでは、「時代」第1号に掲載された半田知雄の評論文「新文化建設の指標」の後半部分を紹介する。

 自分の記憶を辿りつゝ反省してみれば、最初の日本文化論は、概ね、日本精神云々の論であって、当代の政治家・國文学者などの主張であった。精神修養の目的を持ったものが多く、所謂「髙等批判」を受けることが少なかった。それはただ、新しい卋界觀として発展したものではなく、まして経済思想や社会思想の分野にまで、その偉力をふるふまでには至らなかった。ところが、この時代の態度や方法は、思想的体系をもたなかったに拘らず、直ちに民族的感情に訴へるところがあったので、その普及力は深大であったと云へる。今になって考へて見れば、それ以後の批判的研究は遂に初期の思想的弱点を克服することが出来なかったやうである。

 人間は理性的動物だと云はれてゐるが、現実的にはむしろ感情的動物である。そして人間の感情的方面をしっかりと把握してこれを行動上の統一へ導くのは近代的プロパガンダである。民衆の意志を統一したものこそ時代を指導してゆく。傳統的感情を國家的に利用した政治家の態度は、その後の理性的態度を机上の空論の如き地位にかつぎ上げてしまった。

 だが、今日我々が、日本文化を云々することが出来、又その上に信念をきづくことが出来るのは、理性的態度、分析的・比較研究的方法が生まれて、日本文化の眞相とその價値とを明らかにしてくれたからである。最初から「精神」とか「魂」とかの信仰的原理を打ち立て、日本文化・日本精神とはかくの如くのものでなければならないとした観念的・独断的方法に反対して、もっと帰納的立場から、虚心に、日本人のよさ(性格)、日本人の人生に対する態度(精神)、日本人が自ら工夫した技術(知性)、日本人が藝術に表現した感情(感覚)などをさぐって、それを卋界文化の光にてらして、そこから日本人が傳統的に持ちこして来た民族的特徴を研究するやうになった。「日本的なもの」「日本的性格」などは、日本精神や大和魂を、合理的な方法に依り、具体的な姿で見せてくれたことは一段の進歩であり、さらに近隣諸民族文化との発生的関係や影響の度合いなどの研究、ひいてはエウロッパ文化との関係などをさぐることに依って増々はっきりと日本的なるものの姿をあきらかにして行った。

 だが、さらに進んで、厂史的な意義を究明して、そこから新しい文化を生み出す原動力となるやうな思想や感覚や意欲や原型などを見出すやうになったのは、具体的な再認識を経たのちに、少數の思想家たちによってであった。

 文化と云へば直ちに傳統を思ひ浮べ、精神と云へば永久に固定したものの如く考へて古代文化も近代文化も皆いっしょくたにして、カクテル的に考へがちな態度から、発展的・創造的なもの、今日より明日へ動いていくものとして「文化」を把握しようとしたものこそ、直しい日本文化・日本精神を理解したと云へる。

 だが、ここで問題となるのは、かゝる方法は單なる抽象や綜合によって成し得るものでなく、社会の進化・広くは人類の全文化の発展を考慮しつゝ、我々が二千年来の努力により我々にゆるされた最大可能を、我々の実際の生活によって世界の人間に示すものでなければならない。簡單な言葉で言ひ換へれば、我々の工夫した生活が、本当に人間の幸福になってゐるかどうかと云ふことだ。私の考へでは、本来無意味なものとしてこの卋に存在する人間の生活を意義づけ、楽しいものとし、いろいろな工夫・考察をつみかさねてゆくことが文化である。それの日本人的なゆきかたが日本文化である。いかにも日本人らしい心がまへ、態度が日本精神である。それは人間性や時代性を無視したものでなく、卋界の進歩と共に変化し、進化すべきものである。

 結論はきはめて簡單なものになるが、卋界文化の線に沿ふた新文化を建設することである。例へて言へば古代文化にはその形式にこだはらず、その雄大明朗の精神をまなんで今日に生かすべく、武士道に於ては封建的主従関係の道徳から、近代的人類愛の至誠に至る力をくみとるべきである。

 造形的な文化からは、あの簡素な美しさを味はひ、自然をさぐって自然の精髄なる自然らしさを学びとったことを考へ、素材をかえては西洋建築にさへ日本家屋のすがすがしい線を取り入れたことなどを学び得よう。既成文化の保存と、文化の想像とは、全く別なものである。


 (時代1, p.33-36)


サンパウロ人文科学研究所 Centro de Estudos Nipo-Brasileiros